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富士吉田市戦没者慰霊塔の看板リニューアル

ページID:0014944 更新日:2026年8月6日更新 印刷ページ表示

​富士吉田市戦没者慰霊塔(忠霊塔)の案内看板のご紹介

​ 富士吉田市戦没者慰霊塔(通称:忠霊塔)​は、山梨県富士吉田市の新倉山(標高850m)中腹にあり、1962年に​明治以降の戦争で戦没された​富士吉田市出身者を追悼するため​建設されました。富士山の麗姿と、市街が一望できる市内屈指の景観地となっており、同所から仰ぐ富士山の風景写真は、海外の教科書などで、「日本の象徴」として紹介されています。
 新倉山浅間公園の敷地面積は42,925平方メートル。公園入り口からは398段の石段があり、総延長は約200m。約90台収容可能の駐車場から石段か遊歩道を十分ほど歩くと、公園の中心である忠霊塔に辿り着きます。
 忠霊塔は、在郷軍人会や市民、民間企業から建設資金を募り、3年の歳月で完成しました。この塔には、市内1,055柱の位牌が安置されています。

 このたび、富士吉田市戦没者慰霊塔(通称:忠霊塔)に設置されていた看板をリニューアルしました。

忠霊塔案内看板(掲載文)​

 富士吉田市戦没者慰霊塔(通称:忠霊塔)​ 

 五重塔と富士山が織りなすこの美しい景色の背後には、戦争によって失われた多くの尊い命があります。

 この塔は、その方々を追悼し、二度と戦争の悲しみを繰り返してはならないという想いと、戦争のない平和な世界への願いを後世に伝えるために建てられました。


 この塔は、富士吉田市戦没者慰霊塔(通称:忠霊塔)といいます。
明治以降、日本国として参戦した戦争において、富士吉田市から出征し、尊い命を落とされた方々を追悼するため、市の援護会を中心に、多くの市民の浄財によって建設が進められました。
 昭和33年(1958年)8月、富士吉田市長を委員長とする富士吉田市慰霊塔建設委員会が設置され、昭和34年(1959年)4月に起工し、3年の歳月を経て、昭和37年(1962年)4月に完成しました。
 この塔内には、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦及び太平洋戦争において亡くなられた本市出身の戦没者1,055名の位牌が納められており、その方々を追悼する場となっています。
 戦争で大切な家族を失った遺族にとって、世界中から国境を越えて多くの人々がこの地に集う今日の姿は、平和の尊さをあらためて感じさせてくれるものです。
 来訪者の皆さまが、戦争の悲惨さと平和の尊さ、また、命の大切さに静かに心を寄せてくださることを願っています。

令和8年8月
富士吉田市戦没者慰霊塔奉賛会
富士吉田市遺族会

冊子「忠霊塔の歩み ~平和への願い~」のご紹介

 富士吉田市遺族会では、戦後80年を迎えた令和7年の節目に、「忠霊塔の歩み ~平和への願い~」を発行しました。
 この冊子は、富士吉田市遺族会をはじめとする多くの関係機関・関係者のご協力のもと、忠霊塔の歩みと、そこに込められた平和への願いを広く知っていただくために作成したものです。忠霊塔を単なる観光スポットとして見るだけでなく、その歴史や建立の背景に思いを寄せていただくきっかけとなれば幸いです。​
 「忠霊塔の歩み」~平和への願い~」は、福祉課地域福祉担当窓口で配布しているほか、PDF版も掲載していますので、ぜひご覧ください。

「忠霊塔の歩み」~平和への願い~」令和7年8月発行 [PDFファイル/8.83MB]

 

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