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堀内 昇(ほりうち のぼる)氏

ページID:0002002 更新日:2025年1月6日更新 印刷ページ表示

堀内 昇(ほりうちのぼる)氏 肖像画

プロフィール

本籍地 山梨県富士吉田市下吉田1047番地
住所 同上
氏名 堀内 昇(ほりうち のぼる)氏
生年月日 明治31年3月21日

名誉市民 昭和60年3月25日

略歴・業績

 堀内昇氏は、明治31年3月21日、父儀市、母つるの長男として新倉に生まれる。
昭和4年8月、弱冠29才にして瑞穂村議会議員となられる。昭和22年4月、下吉田町長に就任、特に最初の公選町長の任期切れも迫って、急速に市制施行への意欲が高まるなか、私利私欲を超越した崇高なる精神で全身、全霊を打ち込んで難問を打開し、ついに念願の市制を昭和26年3月20日実現された。当時は、1県1市というのは山梨県をはじめ全国でも2、3を数えるのみで、県民は他府県にいっても常に肩身の狭い思いであり、甲府に次ぐ第2の都市の出現を望むのは県民の悲願であり、最も要望するところであった。富士吉田市の誕生は、その意味でも一大快哉時といえる。
 昭和26年4月、初代市長、更には3代、5代市長として常に一貫して民主的な市政の運営に努め、郷土を愛し、市政の伸展と市民福祉の向上に日夜精魂を傾けられた。この間、山梨県町村会会長、山梨県市長会会長、全国市長会副会長、全国市長会関東支部長等をはじめとする各種団体の役員として、地方行政の発展、充実に大きく寄与された。また、農民の協同組織の健全な発展を図るため、市内4農協の合併という大業を遂げられて以来、昭和59年3月まで組合長として農協基盤の確立とその発展のために最善の努力を払われた。
 昭和43年4月には、これら多くの功績をたたえて国はつとに地方都市の市長として勲五等瑞宝章を贈った。
このように、氏の高邁なる識見と卓越した政治的手腕は、既に市民は申すに及ばず岳麓民ひとしく銘記するところである。


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