◆あらまし◆
富士北麓の歴史は遠くさかのぼればさかのぼるほど神話、民話伝承の世界に溶け込んでいき、それらと密接な関係を持つ富士山信仰を基盤に富士吉田市は発展を遂げてきました。上吉田地区の北口本宮冨士浅間神社と、御師の家並みがその面影を伝えてます。秦の始皇帝の家臣、徐福が伝えたとされる甲斐絹は、明治以降織物産業が近代産業として脚光を浴び、この地域の主たる産業として発展し、富士吉田市はその織物産業を軸として、政治・経済・交通などあらゆる面で富士北麓の中核都市としての役割を果たしてきました。市の沿革は、昭和26年、富士上吉田町、下吉田町、明見町を合併して市制をスタートさせ、昭和35年には、上暮地地区を合併して現在に至っています。日本のシンボルである富士山の麓に広がる本市は、市域の大部分が国立公園内にあり、土地利用の面で大きな制約があるとはいえ、富士山に抱かれた自然環境は、市民にかぎりない恩恵を与えてくれ、大きな誇りにもなっています。現在富士吉田市は、いつまでもこのまちで暮らしたい、このまちで子どもを育てたいとだれもが思えるまちづくりを目指し、飛翔しています。富士山に抱かれた自然環境は、市民にとって大きな誇りであるとともに、限りない恩恵を与えてくれています。現在も、自然との調和を保ちながら、富士山とともに歩む国際都市として発展しています。