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桑原 幹根(くわばらみきね)氏 肖像画
桑原 幹根(くわはらみきね)氏

プロフィール

本籍地 山梨県富士吉田市大明見20番地
住 所 名古屋市昭和区高峯町133-19
氏 名 桑原 幹根氏
生年月日 明治28年 8月29日
没年月日 平成 3年 4月11日

名誉市民 昭和63年 9月17日

略歴

大正11年 3月 東京帝国大学法学部政治科卒業
〃 12年 4月 内務省入省
〃 12年10月 山口県産業課長
昭和 6年12月 内務省警保局図書課長
〃 11年12月 内閣東北局長
〃 15年 4月 日本商工会議所理事
〃 16年 8月 東北興業株式会社副総裁
〃 20年 4月 同社総裁
〃 21年 7月 官選愛知県知事(~昭和22年3月)
〃 21年 7月 東海北陸地方行政事務局長官(併任) (昭22.3)
〃 26年 5月 愛地県知事当選
以後連続6期当選(~昭和50年2月)
〃 36年 5月 中部圏知事会会長(~昭和50年2月)
〃 36年 8月 愛知県国民健康保険団体連合会理事長(~平成元年7月)
〃 41年11月 中部圏開発整備地方協議会会長(~昭和50年2月)
〃 42年 5月 全国知事会会長(~昭和50年2月)
〃 48年11月 勲一等旭日大綬章受賞
〃 50年 4月 国土庁顧問(~昭和63年6月)
〃 50年 5月 株式会社東海銀行監査役
〃 50年12月 名古屋商工会議所相談役
〃 51年11月 愛知県交通安全協会会長(~昭和63年5月)
〃 52年 5月 中部交通安全協議会会長(~昭和63年6月)
〃 52年 5月 自治省特別顧問(~昭和61年2月)
〃 62年12月 愛知県名誉県民

業績

 1895年、山梨県南都留郡明見村(現・富士吉田市)で養蚕農家の7男として生まれた。山梨県第一中学校都留分校(現・山梨県立都留高等学校)、旧制第一高等学校から東京帝國大学(現・東京大学)法学部を経て、内務省に入省。1935年に福島県経済部長、同年に内閣東北振興事務局書記官、1941年に東北興業会社(現・三菱マテリアル)総裁など役職を歴任し、1946年に官選の愛知県知事となる。戦後は公職追放になったが、1951年に公選の愛知県知事に当選し、以後は連続6期24年にわたって知事を務めた。

 全国の草分けとなった地方計画を策定するなど、知事在任中は行政手腕と中央への人脈を活かし、名古屋港や衣浦港を整備して工業用地を造成した。こうして高度経済成長の勢いに乗り、愛知県をトヨタや新日本製鐵に代表される工業県に変化させた。1959年には愛知用水の存在が決め手となって三重県との誘致合戦を制し、東海製鉄(現・新日本製鐵名古屋製鐵所)を現在の東海市へ誘致する事に成功している。

 1967年には全国知事会で初めて東京都知事以外から会長に選ばれ、1975年に知事を退くまで在任した。1973年には勲一等旭日大綬章を受章。1987年に愛知県で初の名誉県民となった。1991年4月11日、心不全のため95歳で逝去。同年5月16日には愛知県民葬が営まれた。

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