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川合 信水(かわいしんすい)氏 肖像画
川合 信水(かわいしんすい)氏

プロフィール

本籍地 山梨県富士吉田市下吉田6802番地
住 所 同上
氏 名 川合 信水氏
生年月日 慶応3年11月17日
没年月日 昭和37年7月3日 96才

名誉市民 昭和34年12月23日

略歴・業績

 川合信水氏は、慶応3年(1867年)11月17日、父川合立(はる)玄(つね)(旧長州藩士)、母つねの長男として、現山梨県南都留郡西桂町小沼に生まれる。父は、医業を開業しており県下に名医として知られた。
 明治初年、小学校令が発令されるや、いち早く学び始め、岳麓において秀才として知られ、長じて青年活動に情熱を注いだが、23歳のころ、母をはじめ弟妹四人を一度に失い、心機一転キリストの教えに救われ、谷村教会の最初の信者となった。
 その後、信仰に確信を求めて東北学院長押川(おしかわ)方(まさ)義(よし)師に学び、その人物を認められ28歳で東北学院労働会の塾長となった。
 明治32年(1899年)、32歳のとき斉藤ちよと婚姻。38歳にして前橋市共愛女学校の校長となる。
 明治42年、42歳で京都府綾部市の郡是製糸株式会社(現・グンゼ株式会社)の招きで教育総理となり、労使問題について宗教的解決を教え、修養と勤労との一致による理想的経営を作り上げた。また、貞明皇后の行啓もあらせられた。
 大正11年(1922年)、世界労働会議日本代表に選ばれるが、健康がすぐれず辞退。
 昭和2年(1927年)、「基督心宗」を開宗し、その伝道は広く世に及び、多数の信者を世に送った。
 終戦中、高弟の近衛内閣閣僚安井英二氏の紹介により近衛公に会い、日本の窮状について種々献策した。
 その後、昭和31年(1956年)、ちよ夫人と死別し、生涯修行を止むことなく、郡是製糸株式会社退職後は、不二山荘に居をおいて、日々多くの来訪者を指導し、また、各地を訪れて伝道し、著述にも力を尽くした。
また、日常生活も規律正しく、起床から就寝まで執筆、講話等に専念し、一刻の休みなく人類の幸福のため日夜精励して、96歳で一生を終えられた。

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