| 鎌倉幕府は、公家から武家への政権移行を果たし、諸国に守護・地頭を配置しました。そして、南北朝 の動乱を経て成立した室町幕府では、守護大名による領国制が確立していきました。甲斐国では武田 氏が守護職をつとめ、戦国期には大小の反乱をおさえて戦国大名化していきました。一方で、郡内地域で は小山田氏が支配を強めていきました。また、この頃は自治的集団として村の発達もみられます。 |
![]() |
|
戦国時代の山城か烽火台であったと考えられています。 「妙法寺記」文亀元年(1501)、北条早雲が郡内に攻め 入った時の記事に城山・小倉山の名がみえます。 |
●鎌倉時代の信仰
| 中世は神仏への信仰が広く人々に行き渡った時代で、熊野三山や伊勢神宮への参詣、富士山への信仰が広がりをみせるのもこの時代です。このことは山内への数々の奉納物が物語っています。やがて吉田は登拝・遥拝の拠点として賑わいをみせ始めます。 |
●戦国時代の吉田
| 戦国期の吉田は御師たちによって来訪する道者のための「坊」が営まれ、諸国から商人が集い、「千軒の在所」と記されるほどの賑わいをみせていました。この頃は村の発達が著しく、こうした村としての集団には有力な土豪層の存在がみられます。市域でも土豪層などの屋敷等が確認できますが、土豪は次第に有力在地領主に組み込まれていき、この地は戦国の争乱の舞台となりました。 |