| 1,生業と生活 | |
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富士北麓地方は火山灰土や高冷地といった環境にあり、必ずしも稲作に適した土地柄とはいえませんでした。 そのため、土地の緩やかな傾斜を利用した水掛け麦の栽培が発達しました。また、当地の人々は、農業の他 にも機織り、強力、先山、馬車引き、大工などさまざまな仕事を行うことによって日々の生活を営んでいました。 |
●環境と農業
| 市域の平坦部の地質は、ほとんどが丸尾とよばれる溶岩大地と富士山から押し流された火山性の砂で占められています。そのため水田に適した耕地はわずかであり、他の大部分は畑で、作物のほとんどは麦・稗・蕎麦・トウモロコシなどでした。加えて耕地の標高は700mという高い位置にあるため、年間を通して気温も低く、絶えず冷害に悩まされていました。 |

粟/黍
●水掛け麦
| 水掛麦は富士山裾野の緩やかな傾斜を利用して、桂川の水を畑に掛け流して栽培された麦で、この地方独特のものです。すでに室町時代にこの方法が行われており、江戸時代には生産性が高いことから、他の畑よりも高い年貢が課せられていました。栽培には川の水の養分のみによって生育するので肥料を一切用いず、しかも流水を用いるため冬期でも凍結しないため麦踏みも不要でした。しかしながら、水掛け麦の耕地は水田となり、今日では見られなくなりました。 |

水掛け麦の水見/昭和初期
●稲作
| 「吉田」の地名の由来は葭の茂っているところの田、つまり湿地で稲を栽培した地域のことをそう呼ぶようになったのだといわれています。江戸時代には、比較的標高の低い下吉田以北の地区では水田に稲が作られていましたが、要項の高い地区で稲作が安定しておこなわれるようになったのは、品種や肥料が改良された明治・大正以降のことです。 |
●食生活
| 日本人の主食は米の飯であるといわれてきました。しかし実際に白米飯が三度の食事に出されるようになったのは都市部以外は昭和30年代以降のことであり、それ以前は畑作物である麦・粟・稗・トウモロコシなどの雑穀が主食料の中心でした。この地方でも同様に雑穀主体の食生活が長く続いてきましたが、それらを素材として当地の人々は調理にさまざまな工夫をこらし、ヤキモチ・オバク・ホウトウなどの多くの食物を作り上げました。 |