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上吉田宿(模型)
御師は富士山の神霊と崇拝者の間にたち、崇拝者に代わって祈りをあげ、お札を配り、
登拝(信仰登山)の際には自宅を宿泊所として提供して、富士信仰を広める役割を果た
した人々です。室町末期には御師の存在が記録の上で確認されており、その頃すでに
御師か盛んに活動していたことがわかります。江戸時代の最盛期には、約100軒ほどの
御師が上吉田に居住していました。


●御師の町並み

上吉田は御師の集住する地区で、元亀3年(1572)に旧地・古吉田から現在地に移転しました。入口には金鳥居が建てられ、集落の背後には浅間神社がひかえています。各御師家に入れ替わりはあったものの町並みの基本的な骨格はその後も変化せず、現在も当初の面影をみることができます。
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富士山北口本宮富士嶽神社境内図/明治25年(1892)
浅間神社の境内を表した銅板画で、当時の上吉田の御師町の様子を知ることができます。


●御師の仕事

御師の仕事の中で重要なものの一つは、檀家廻りです。御師は各地で富士信仰を布教し、信徒を得ながら信仰圏を拡大していきました。この信徒を檀家(檀那)と呼び、御師との間に特定のつながりが持たれています。御師は毎年それらの家々を廻りますが、その際に家内安全などを富士山の神霊に祈願し、また病気回復などの祈祷を行い、祈祷札、牛玉札などを授与しました。
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牛玉札/天明8年(1788)
富士山を中心にすえ、山頂に来迎阿弥陀三尊を描きます。阿弥陀三尊は、
人の臨終の際に来迎し、極楽へ導くとされており、山頂があの世であるこ
とを示しています。


●御師坊

宿泊所として登拝する道者を受け入れることも御師の重要な仕事です。そのため、御師の家には信仰の中心的施設である神殿、宿泊のための大広間、食事を準備する大きな台所、身を清めるための滝などを備え、大人数の道者を迎えることができるようにつくられています。
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御師の屋敷と間取り
御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りから細長いタツ道があり、そして滝の設けられた小川を
介して家屋が建ちます。
御師の住宅も妻方向に細長く、最も奥まった部屋に神殿を設けている家が多く見られます。また、
表側は道者を迎えるための空間、裏側は家族の使用する空間として機能的に区別されています。